<オルゴールが子守唄>
家に手作りの山小屋の形のオルゴールがありました。
母が知り合いの方に頼んで作ってもらったもので、幼い頃寝る時にいつも母がかけてくれたのを覚えています。
今でもその時の曲を耳にすると、すごく懐かしい気持ちになります。
<おてんばな女の子>
山のすぐ近くに住んでいて、庭の木に登って遠くを眺めるのが、気持ちが良くて好きでした。
近くにはコスモスが咲き乱れる野原があり、山の清水が湧いている所には沢ガニがいたりと、自然に恵まれた環境の中で育ちました。
そんなある日近所へうさぎを見に行って、そこの家の掘ったばかりの井戸に落ちました。
薄暗い井戸の中でボコボコ水が出てきて、息が出来なくて、すごく苦しかったのを覚えています。
そこの家のおばさんが飛び込んで、近所の人達も駆け付けて私を助けてくれました。
本当に今こうして生きていられるのは、皆さんに助けて頂いたお陰だと感謝しています。
<ピアノが大好き>
ピアノを習い始めたのは小学1年生からでした。
私の通っていた小学校は音楽室に生徒1人に1台ずつオルガンが入っていました。
当時としてはとても恵まれていたのだと思います。
でも私はまだピアノを習っていなかったので、音楽の授業参観の時、音が分からずオルガンの端から数えて音を探している私を見て、母が
「これは大変だ!ピアノを習わせよう」
と思い、やっとピアノを習わせてくれました。
クラスのピアノを習っている友達がすごくうらやましかったので、本当に嬉しくてたまりませんでした。
母が音楽が好きで音楽雑誌を取っていたのですが、レコードがついていて、その雑誌の中にはいろいろなジャンルの楽譜がたくさん載っていました。
日曜日になるとレコードをかけていろいろな音楽を聴いたり、載っている楽譜を始めから弾いていくのがとても楽しくて、朝から何時間もずっとやっていました。
習っていた曲より、そっちをやっている方が多かったように思います。
そんな時に、習っていたピアノの先生が遠くに引っ越されることになり、ピアノのレッスンもそのまま中断してしまいました。
<私ピアノの先生になるの!>
そんなある日、仲良くなった友達が
「私大きくなったらピアノの先生になるの!だから音楽大学に行くの!」
その言葉は私にとって衝撃的でした。
そういう道があるんだ!
ピアノの先生ってなれるんだ!友達のその言葉を聞いた時、
「私もピアノの先生になりたい」
その気持ちがどんどん湧き上がってきました。
その時友達からその言葉を聞かなかったら、今私はこうしてピアノの先生にはなっていなかったかもしれません。
その友達には本当に感謝しています。
その時ピアノのレッスンは中断したまま…。
私は母に又ピアノを習わせてくれるように一生懸命頼みました。
そして別の先生の所へ通うことになり、またピアノを頑張りました。
6年生になったある日、そのピアノの先生から
「音楽の道へ進む希望はあるの?」
と聞かれ思わずピアノの先生になりたい気持ちを話しました。
でも両親は音楽の方へ進むことは反対でした。
私は必死で両親に進ませてくれるように頼み、ピアノの先生も話して下さって、やっと音楽の方へ進むことを許してもらうことができました。
その時は本当に嬉しかったのですが、不安もありました。
音楽の道を目指す人達はもっともっと早い時期から目指して頑張っています。
音楽の道を目指すにはかなり遅いスタートでした。
曲の進みも遅い方でした。
<中学時代>
中学に入り、ピアノの先生から紹介して頂いた芸大出身の先生の所へ通うことになりました。ピアノの先生のお宅はかなり遠く、両親とも車の運転ができなかったので、バスをいくつも乗り継いで通いました。
ソルフェージュも声楽の先生の所へ通うことになりましたが、耳は早い時期に鍛えないと音を聴き分ける力をつけることが難しいと言われています。
私は始めたのが遅かったため、聴音で音を取れるようになるまで、本当に苦労しました。
でも中学ではオーケストラ部に入り、副部長、部長をやりましたが芸術祭に向けて、いろいろな曲を仕上げて行くのはとても楽しみでした。
また合唱コンクールでは3年間ピアノ伴奏をやり、とても良い経験でした。
<高校時代>
高校は進学校へ進んだのですが、ピアノの先生からはピアノのためには勉強は捨てなさいと言われました。
ピアノはかなり練習しなければならないし、でも勉強も捨てるわけにはいかないという気持ちもあり、すごく悩みました。
高校からは東京の大学の先生につくことになったので、日曜日には東京まで毎週ピアノとソルフェージュのレッスンに通い、朝から夜まで本当に大変でした。
時には何でこんな大変な思いをしてやらなくちゃならないんだろう、という気持ちになることもありましたが、
「そうだ私はピアノの先生になるんだ!それまで頑張ろう!」
とその時を思い描いて頑張ることができました。
<大学時代>
第1志望は自分のミスで残念な結果でした。
とてもショックでしたが、ピアノでついていた大学の先生が電話を下さり、短大の方の試験をすぐ受けるように励まして下さり、合格することができました。
短大では友達に恵まれ楽しい学生生活でした。
でも短大ではピアノのレッスンと授業でやることがたくさんあり、忙しい毎日であっという間に2年間が過ぎました。
卒業間近の頃、たまたま音楽教室の発表会を見て、舞台の上で生き生きと輝いている先生方の姿を見て、私も音楽教室の先生になろうと思い音楽教室の講師の試験を受け合格しました。
<仕事>
音楽教室でグループレッスンと個人レッスンを教えながら、自宅でもピアノ教室を始めました。
初めて生徒さんにあった時、ドキドキする気持ちと、私の所へ来てくれた嬉しさと、これから音楽やピアノの楽しさをたくさん伝えたいという気持ちでいっぱいになりました。
今もその気持ちは変わっていません。
<結婚~子育て>
結婚して長女が生まれましたが、私の母に手伝ってもらいながらレッスンは続けていました。
そして次女が生まれる時に、音楽教室は退職し自宅と実家のピアノ教室だけやっていました。
やがて3人目の長男が生まれました。
長女や次女には、自分がピアノを始めたのが遅かったので3歳から音楽教室に入れやらせました。
趣味で音楽やピアノが好きになって続けてくれたらいいなという気持ちでやらせていましたが、長女が小学校5年生になる時、
「私ピアノの先生になりたい!」
と言い出しました。
その後次女も
「私もピアノの先生になりたい!」
と言い出しました。
自分と同じ道を志すことは、嬉しい気持ちもありましたが、自分が音大に入るために大変な思いをしていたので、それから二人を音大に入れるためあちこち、いろいろ準備をしながら必死の思いでサポートしました。
私自身ももう一度音楽教室の講師に戻りたいという気持ちが強くなり、講師試験を受け直し、合格することができ、泊まり込みの研修もなんとか乗り切って講師に復帰しました。
そして長女、次女共に第1志望の音楽大学に合格することができ、ほっとしました。
私は自宅の教室をやりながら音楽教室の方はグループレッスンの方から個人レッスンの方に移り、娘達もピアノの先生としてやっています。
今年はコロナのことがあり、レッスンをお休みしなければならない時もありましたが、レッスンが再開してニコニコしながらレッスンに来てくれた生徒さんに会った時、嬉しくて初めて教え始めた時のあのワクワク感、ドキドキ感を思い出しました。
どんな時でもピアノや音楽の楽しさや素晴らしさを、これからも皆さんにお伝えしていきたいと思っています。